てぃーだブログ › 山崎新の沖縄あれこれ

2012年05月14日

復帰40年。沖縄は、未だ復興せず。

明日は1972年に沖縄が沖縄県として復帰してから40年の節目の日。

あまり新聞などを読んでいないのでなんとも言えないけれども、沖縄にとって復帰40周年記念日は、祝賀のお祭りの様な雰囲気は感じられない。それは、この40年間が、沖縄にとって挫折の連続だったからではないだろうか。

これからの10年は、沖縄にとって正念場を迎えると私は思う。

戦後の復帰とそれに続く政策などの影響も含むならば、沖縄は未だに戦後復興を果たせていない。
これは日本中どこも同じかもしれないが、沖縄はその中でも一番復興から遠い位置にある。

これからの10年。過去と出会い、暮らしを学び、沖縄の将来の幸せを描く。
政府などの大きいものに巻かれても幸せにはならない。
自分の足元から、沖縄の、シマの、一人一人の大切にしたい思いから、沖縄の復興が始まる。
復帰50周年の記念日が、「次の10年で幸せへの階段をのぼってやるぜ!!」といった気概で盛り上がる様であってほしい。

そんなことを考えています。
  

Posted by アセンブリー at 19:05Comments(0)TrackBack(0)長い長いつぶやき

2012年05月14日

おいしかった~!ごちそうさまでした!!

岩手県宮古市重茂小学校の6年生の男の子のお母さんから、美味しい塩蔵ワカメが送られてきたびっくり

「市場に出さない、地元が好きで食べるやわらかいワカメですびっくりあんまり戻しすぎないでくださいね♪赤
とアドバイスをいただいたので、美味しくいただいています。

せっかくなので、来月の映画上映イベント「いのちをつなぐアースハーモニー」のメンバーにも会議の間に食べてもらいましたニコニコ
先週末は、防災チームのメンバーで集まって、食事会を開きました♪赤
重茂のワカメをポン酢であえて、大槌で買い込んできた干物などを、カセットコンロで焼いて食べて、美味しいお酒を飲んでと、満喫しました食事

まだまだ、漁業の復興も地域産業の復興も、地域自体の復興も、時間はかかると思いますが、小さな縁を保ちつつ、買い物などを通して応援し続けることもしていきたいと思います。

Sさん、ありがとうございましたびっくり!!本当に美味しかったし、仲間と一緒に味わえたことで、沖縄でももっと頑張っていこうという力にもなりましたニコニコ

今度は沖縄から何か贈りますねピース



  

Posted by アセンブリー at 11:38Comments(0)TrackBack(0)長い長いつぶやき

2012年05月01日

仲間と呼べる関係を作る力を育てたいな

どうも、最近全然文章を書く事が出来ず、フェイスブックで小言ばかり言ってしまっていますがーん

一昨日の深夜、高校の同級生から結婚報告のメールが届きましたびっくり
いやぁ待ってましたびっくり嬉しかったびっくり

高校1年の最初のクラスで出会ったこの女友達は、とてもにぎやかで、楽しい雰囲気をクラスに作る面白いヤツでしたびっくり
体育祭や学園祭など、クラスワークが求められる学校行事の中で、みんなで話し合える雰囲気を作っていたのは彼女でした。
しっかり率先して面倒と思われる役割もこなし、みんなで楽しい事を一緒にできるように頑張るヤツ。
私はそれに引っ張られる様にして、学園祭ではオズの魔法使いのカカシ役を演じ、オズ役の彼女の誘いのままに、一緒に演劇部にまで入ってしまいましたあかんべー
おかげで、現在のプレゼン力や学習プログラム作成力の基礎は、演劇の舞台づくりの中で学ぶことができましたびっくり
プライベートでも、仲の良い男女8名くらいでいつも集まり、クラスが変わってからもよく飲みに行き(時効ですよ時効びっくり)よく遊びに行きましたニコニコ

演劇や体育祭はみんなで作る物なので、遠慮なくぶつかり、ケンカももちろんしました。
けれど、それがあったから、大学から東京を離れても、変わらない関係がありましたおすまし
帰れば集まり飲みに行く。色んな話をする。時々手紙やプレゼントが届く。
離れてなかなか会えなくても、心の中に仲間がいつもいるんですね。だから一人ぼっちを感じる寂しさはありませんでしたおすまし

だから結婚することを聞いた時は本当に嬉しかったびっくり
おめでとうを言える幸せ、幸せな結婚式に立ち会える幸せ、ご家族を祝える幸せを感じましたニコニコ


ここまで仲良くなったのも、仲間となったのも、全ては高校の個性の中で、互いのキャラクターが生かしあえた、生かす力があったことが大きかったのだと思います。

常にみんなと一緒に楽しいことを考え、楽しみ方を話し合い、思っていることを出し合い、ぶつかりあい、作品を作り上げる。
これが、友達よりもう一歩踏み込んだ、仲間を作ることにつながるのだと思います。
勉強にも、仕事にも全然つながるように見えないこの仲間の存在は、人生にとってかけがえのない宝物です。
そして、その存在が、仕事で悩んだ時の支えになったり、学びを深めるための励みになりますびっくり
ぜったいに一人ぼっちじゃない。そんな自覚を生んでくれる『仲間』の強さ。

これを、キャリア教育などで小中学生に関わる際に、伝えたいといつも思っています。
伝えきれているとは思いませんが、これからもっと知恵を絞って、伝えていきたいと思います。


色んな気づきをもらいっぱなしの友人に、心からの感謝と祝福の思いを込めて、結婚式の時にお返しをしたいと思いますびっくり
何をサプライズするかな~♪赤  

Posted by アセンブリー at 19:17Comments(0)TrackBack(0)長い長いつぶやき

2012年04月11日

岩手三陸を訪ねる

もう1カ月が過ぎてしまったびっくり

3月12日夕に那覇を出発し、15日まで3泊4日で、岩手県大槌町、宮古市に伺ってきました。
岩手県のこのあたりは、大学4年生だった2004年に一度車で旅をした所。仙台の友人宅から北上し、盛岡から宮古市へ向い、浄土ヶ浜に寄り、駅前の民宿で1泊。翌日は宮古重茂集落を抜けて大槌、釜石から遠野へ抜けてといった一人ドライブでした。
今は宮古市内に嫁いだ友人もあり、重茂小学校にも伺いたかったので、沖縄の防災メンバー3名と一緒に向いました。

13日朝に北上駅前のホテルを出発。宮守にある、銀河鉄道のモチーフになったという鉄道橋メガネ橋を眺めて、遠野を抜け、ここから旧道である笛吹峠を越えましたびっくり
国道やバイパスは整備されましたが、旧道は車であっても、昔の人の暮らしや地形の厳しさを感じられるので、今回もその道を抜けて釜石市鵜住居地区に入りました。
良い天気でしたが、峠に差し掛かると一面雪汗滑らないようにゆっくり山を越えていきました。
鵜住居地区の丘の上から見ると、何もありません。
画像正面には住宅が広がり、左手側奥には鵜住居駅があったようです。この坂の下、河口にあった鵜住居小学校と釜石東中学校の子どもたちは、1キロ以上あるこの丘の上まで逃げてきました。
歩いていると、避難する子どもたちを撮影した初老の男性が声をかけてこられて、当時のお話をしてくださいました。

海沿いに立つ鵜住居小学校。隣接する釜石東中学校も同じような様子でした。
小学校から岬の奥に向かうと海水浴場やキャンプ場、ヨットハーバーなどもある、海でにぎわう場所だったのでしょう。
小学校も、卒業生にとって大切な場所だと思います。残酷な光景でした。
静けさが辛く、言葉が見つからない。波に消える前の姿を見たかった。
この場所で、この校舎に子どもたちの笑い声は二度と戻らない。それが悲しい。

でも、少しずつ、一生懸命、明日へ向けて生きているんだと強く感じました。
重茂小学校へ向かう山田湾には養殖ワカメなどのイカダが並び、漁師さんたちが海へ出ていました。
港湾設備が復旧しなければ漁業は復活せず、若者を中心に職を失った人の流出は止まらないでしょう。
それでも、今できる事を精一杯やって、仕事をしていました。
大槌北小学校に開店した復興商店街の魚屋さん。前にはカレイが干してあり、小さな店内には美味しそうなタラやサケなどが並んでいました。
「この寒さだし、冷凍じゃなくても持って帰れるかなびっくり」と、美味しそうな品物を常温で持って帰ろうと話をしていたら、「へぇ、飛行機の貨物は寒いんだぁ!?オレ飛行機乗ったことねぇから知らなかったニコニコ」と若い店主のご夫婦がニコニコ笑いながら包んでくれましたびっくり

同じく、復興商店街の焼き鳥屋さん。店主さんとは、同行したメンバーが昨年避難所へボランティアで入った時にお会いしていて、再会を喜んでくださいましたびっくり
案内をしてくださった大槌の方は「子どもの頃から、学校の帰り道に食べた味なんだおすまし」とお話してくださいました。
手際よく焼いてくださった焼き鳥は、自家製のタレがさっぱりとして、味わいが深く、肉もプリプリしてとても美味しかったです。

今回はなにもできず、出会ってお話を聞かせてもらい、自分にできる事を考えることしかできませんでした。大槌町ではファミリーショップ八幡の八幡さんや店員の皆さんにお世話になり、美味しい食事と寝床まで提供していただき、お世話にだけなってしまいました。
ただ、今回出会い、そして美味しい手料理や焼き鳥や郷土料理のすっぷく鍋をいただき、人と人とが商売や教育、行事などでつながる暮らしの原点を知ることができました。
また、大変な状況になっても、今、何ができるかを考えて立ち上がり、明日のために乗り越えようとしている三陸の人々のエネルギーを感じました。「この地域はもうだめだ」とあきらめたくなる状況を抱える地域は、地方には山ほどありますが、被災地はそれ以上に厳しくてもあきらめていません。被災地と手を取り合いながら、地方の地域もともに『福幸』していこう。そんなことも感じました。

感謝しても足りませんが、この気づきを大切にして、これからも、遠く沖縄から思いを届ける活動を続けていこうと思います。  

Posted by アセンブリー at 18:00Comments(0)TrackBack(0)最近の活動

2012年03月28日

70人てすごいねぇ!!『まちづくりカレッジin沖縄2012』

山崎新が学生時代からはまってしまい、ずっと参加し続けている、『全国まちづくりカレッジ』。
地域に研究室を設置した、関西学院大学の片寄俊秀先生と岐阜経済大学の鈴木先生が交流と情報交換を目的に催しを開いてから、今年で10年。第12回目(プレまちカレin宇治を入れたら13回目)を迎えましたおすまし



今年は、沖大のきゆう君を実行委員長に捧げ、沖縄で開催しちゃいましたニコニコ
参加してくれたのは、東海大学SAN(北海道)・松本大学地域づくり考房『ゆめ』(長野県)・星城大学南川ゼミ(愛知県)・名古屋学院大学マイルポストクラブ(愛知県)・愛知大学(愛知県)・岐阜経済大学マイスター倶楽部(岐阜県)・皇学館大学(三重県)・京都文教大学(京都府)・大阪人間科学大学(大阪府)・香川大学直島地域活性化プロジェクト(香川県)の10大学びっくり約70名の学生と教職員が参加してくださいましたニコニコ



1日目は学生の活動発表と懇親会、2日目はまちカレ10周年特別講座とまち歩きがプログラムですが、とにかくスタッフが足りないガ-ン
当日はいつもまち企画で一緒に勉強している学生やOBが集まり、なんとか70名をさばきました汗
でも企画で手を抜くわけにはいかないびっくり!!
ということで、あの手この手を使いましたびっくり



各大学の発表の後には、那覇市第一牧志公設市場副組合長の粟国さんに来ていただいて、市場の歴史や楽しみ方を紹介していただきましたびっくり
急きょだったのに、本当に粟国さんに感謝ですうわーん

懇親会。。。70名となると普通のレストランなどを貸し切るとトンデモナイお金がかかる。1名1000円でやっつけたい汗
ということで、場所は発表の会場だった商人塾をそのまんま活用。ではケータリングか!? ということで何を食べさせようか悩み…。『何食べたいだろう…うわーん』  『食べたいもの解らないから、買いに行かせればいいじゃんびっくり!!市場近いしニコニコ
ということで、懇親会ワーク『パーティーの買い出し行ってきてびっくり』を実施♪赤
60人の学生を10のグループに分けて、オードブルのお皿を持って買い出しに行ってもらいました食事



これ、数年前のまちカレで、関西学院大学が報告していた、市場の中を丼にご飯だけ入れて買い物に行く「オレ流丼」企画をイメージして、「オードブル皿があれば、公設市場ならなんでもできる!!」と思って自信を持ってプログラムにしたんですびっくり
思った通り、懇親会前に他大学とも交流ができて、市場の楽しみ方を満喫してもらえたようでしたびっくり



終わった後に沖大のメンバーと話をしていて思ったのが、「そういえば、うちらも市場でブラブラしながら買い物ってしてないよねガ-ン」 そうびっくり買い物に行くとしたら、肉とか魚とか、何か目的のものしか買いに行っていません。
今回ので、大人数いると色んなものを物色して買えて楽しいということに気づきましたがーん
次はうちらも市場を楽しむイベントをやって、ブラブラ買い物しようびっくり



食にちなんだワークは、人を仲良くさせるのかもびっくり会場も狭かったからなおのこと♪赤







その後、先生方との懇親会も盛り上がりましたびっくり
このイベントを私が好きなのは、全国で活動している先生方の、色んな情報や知識や考え方も教えてもらえるところなんです。
分野も取り組み方も違う先生方だから、本当に多様な見方を感じることができて、刺激になります。


2日目午前中は10周年記念講座「まちカレのこれまでとこれから」と題して、塾長の片寄俊秀(大阪人間科学大学)にお話をしていただき、その後、参加された7名の先生に、自己紹介とそれぞれのまちづくりへの視点をお話いただき、最後に愛知大学の鈴木誠先生に学生へのメッセージをまとめていただきましたびっくり



当時、関西学院大学にいた片寄先生と、岐阜経済大学にいた鈴木先生との出会いから生まれたこのまちカレ。地域での学びの意味や地域の姿、これからについてお話していただきましたびっくり



その後のまち歩きでは、8つのグループに分けて、それぞれに、首里や安里、与儀あたりの古くからある市街地を散策してもらい、新都心のおもろまち駅に戻ってきてもらいましたびっくり



今回は地域の課題だしではなくて、それぞれが沖縄のまちを歩いて何かを感じ、自分たちの活動する地域を見る視点が広がってもらえたらという思いでコースを設定し、歩いてもらいましたびっくり


坂が多く入り組んでいて、そこを車が走り抜ける。そんな沖縄の集落の今の姿と、少しのぞく事ができる昔の暮らしの面影を感じてもらいたい。
最後におもろまち駅前でまとめて、終了としたのも、戦争、米軍統治、再開発を経て、まったく昔の風景を失った沖縄の今の都市の課題。沖縄で進む再開発の姿を見て欲しい。「沖縄っていいよねびっくり」ってだけで終わらせて欲しくないと思ってのことでした。



全てを無事に終え、次回開催校の、三重県伊勢市にある皇學館大学の松本君と握手をするきゆう君おすまし
ホントにお疲れ様でしたびっくり
きゆう君の雰囲気が参加したみんなを安心させて、居心地良く2日間を過ごせたのではないかと思います。

1大学15名などの大所帯の参加があったので、夜の食事は困るだろうと思って設けた、終了後の打ち上げには、なんと50名が参加して、大騒ぎしていましたびっくり!
みんなに楽しんでもらえた成果が、表れたんじゃないかなと思いますびっくり








遠くからわざわざ、お金を出して時間を作って参加していただけた皆さん。生徒を送り出してくださった先生。
参加してメッセージを伝えて下さった先生。
本当にありがとうございましたびっくり  

Posted by アセンブリー at 18:00Comments(0)TrackBack(0)地域関係

2012年03月24日

卒業式!

22日は那覇市内の小学校の卒業式がありました!!

仕事で授業をさせてもらった、識名小学校の6年生を見送りに、小学校の卒業式に参加させてもらいました!!

たった4か月前に授業をやっていたのに、とっても大きくなっていたみんなびっくり!
成長って、すっごいんだなと思いましたびっくり

色んな事があった6年間だったと思うけど、笑顔で踏み出していく生徒たちの顔は、とても前向きで、たくさんの元気をもらいましたピカピカ

沖縄全体がそうなのかはわからないけど、卒業式もやっぱイベントっぽいんですね!
卒業証書を渡す姿はプロジェクターで映しだされるし、入場は舞台の両そでから1名ずつ出てくるし、演出を意識しているところが、すごいなぁと思いましたニコニコ

でも、演劇部あがりの私は、生徒の名前を呼ぶ時に「揚げパンを美味しそうにほおばる~名前~」とか、先生が見つけたその子の素敵なところをキャッチコピーのように付けて読み上げるとか、もっともっと演出を出来る部分を勝手に考えていましたピース


何はともあれ、本当に素敵な時間でしたびっくり
出会った、識名小学校と若狭小学校の生徒の皆さんが、良い一歩を踏み出せることを祈っていますおすまし
そしてまた会えるのを楽しみにしています♪赤  

Posted by アセンブリー at 08:24Comments(0)TrackBack(0)こども・若者関係

2012年03月12日

「ごめんなさい」から、共に生きる明日をつくる

1年前の今頃は、テレビの画面に流れる仙台と千葉のコンビナートの火災の映像、テロップに流れる死亡者数の増加を見ながら、三陸にいる連絡の途絶えた友人が死んでしまったのではないかと、勝手にあきらめにも近い気持ちで見つめていました。
ひどい話ですが、そうでもしないと心が保てない、自分の弱さが露骨に見えてしまいました。

それから1年が経ちました。
皆さんは、どのような思いでこの1年が過ぎ、3月11日を過ごし、どのような事を考えているでしょうか。
私は、とにかく今の仕事、生活を見つめながら、この1年間を過ごしてきました。
何もできない無力さにあきれ、募金や「日本は一つ!」のスローガンに違和感を感じ、ずっと悩んできました。
「支援て何か」「誰をどうしたくて募金するのか」。それは今でも解りません。
ただ、私は、「ちょっとホッとできる、笑顔じゃなくても、顔を上げる時間を持ってほしい。そのお手伝いがせめてしたい」そう思って、「黒糖募金」と題した募金を行い、2万5千円ほどのお金で、友人の住む岩手県宮古市の重茂小学校で生活する、重茂小学校、千鶏小学校、鵜磯小学校の101名の生徒さんに、沖縄のお菓子をクリスマスプレゼントとして送りました。
同封した撮りっきりコニカには、子供たちの可愛らしい顔、体育の時間の風景、校庭に並ぶ仮設住宅が写っていました。
そして、5年生の児童のお母さんと、時々メールで情報交換をするようになりました。

それくらいしかできませんでした。だけど、私はそれ位はできました。

よく、「被災していない私に、被災者の気持ちはわからない。だから、せめて忘れず、次の世代に語り継ぎたい。」なんてコメントが聞かれます。

でも、それはおかしい。被災していなくても、この震災の当事者であることに違いはないのではないでしょうか。同じ時代を生きて、その出来事を共有した。ならば、被災者でなくても、被災地のことを考え続け、自分の言葉で次の世代に伝えていくべきです。
被災者の気持ちはわからないと、線を引いて客観的事実だけを次の世代に残しても、それは生きた証言にはなりません。
被災者の気持ちを考え続け、思い続け、少しの言葉でも、頂いた言葉は代弁して他に生かしていく。それが、被災地を想うことであり、犠牲者を弔うことであり、絆なのではないでしょうか。
でも残念ながら、募金や絆などのスローガンを掲げることで、私たちは被災地と距離を置いて、復興は被災地と国のやることって、突っぱねているように私は感じます。
一人ひとりが、社会の一員としての自覚を持って、この震災を自分のものにしてほしい、そう願います。


この震災に対して、私は他人事でいることはできません。
私は高校卒業までの時間を関東で過ごし、選択肢がなかったとしても、原発産の電力を使って成長してきました。
住民だけにリスクを負わせ、エネルギーだけを享受し、生協の地魚購入セットとして、「相馬ボックス」なる相馬漁港から送られる魚を楽しみ、夏は家族で裏磐梯の五色沼の美しさを満喫しました。まさに消費者です!

しかし、今回の震災による原発事故で、福島県及び東海村など被爆の危険にさらされている地域の皆さんにとって、私は加害者となってしまいました。
本当に、申し訳ありません。 ごめんなさい。

私の恩師である、宇井純先生は、「公害被害に中立は無い。中立は加害者になるということだ。」と、常々おっしゃっていました。私は今回、知らなかったとはいえ、中立の立場から加害者になりました。
同時に、宇井先生から学んだ言葉の意味をしっかり胸に刻みました。

私は、震災後を、「ごめんなさい」から、歩き始めたいと思います。

三陸や福島の支援を行いながら、さまざまな形で福島の魅力をお伝えしていきます。
これだけしかできないのかもしれない。でも、その覚悟から始めます。
必ず、福島へも足を運び、私にできる事を見つけます。


明日、私は岩手県へ向かいます。
重茂小学校の子どもたちに会いに。
いつまでも、いつまでも、そこにあった暮らしの風景とともに、この震災を伝えられるために。

亡くなられた皆さんと、未だ行方が解らず帰ることができない皆さんのご冥福をお祈りします。

山崎新  

Posted by アセンブリー at 02:28Comments(0)TrackBack(0)長い長いつぶやき

2012年02月29日

4年に1度のことなのに…。

いやいや全然ブログを書けていないぐすん
申し訳ありません!!とりあえずは元気に頑張っておりますびっくり

ありがたいことに、2月は環境講座や自然観察会ががじゅまるガーデンとしてあったほか、キャリア教育関係の会議が2回あり、どちらも報告書が今週中ということで、書類作成から何から色々と集まり、もうお祭り騒ぎの様に机の上がにぎやかですあかんべー

忙しいなんて言うとテンション下がるので、「にぎやか!!」と表現して、もうそのお祭りを盛り上げることに専念していますベー

そんなこんなで、4年に1度の2月29日を、怒涛のように駆け抜けていきますびっくり
もっと29日を大切にしてあげたかったなぁ~ガ-ン


今週はもう一つ、大きなイベントがあって、「第12回全国まちづくりカレッジin沖縄」を開催しますびっくり
学生の企画ですが、二人三脚で作りこんで、全国から10大学、70名余りの学生教職員にお集まりいただきますびっくり!
楽しんでもらいながら、私自身も大いに学びますびっくり


それが終わったら来週は確定申告をしつつ、報告書を含めた仕事をやっつけて、
3月12日から、防災チームメンバーと、岩手県三陸を回る勉強会に出発しますびっくり

御菓子でつながった重茂小学校にも、ぜひご挨拶に伺いますびっくり

それに向けて~ぇびっくり このお祭り騒ぎを盛り上がるぞパンチ!びっくり!!  

Posted by アセンブリー at 10:57Comments(2)TrackBack(0)長い長いつぶやき

2012年02月06日

つぶやけない私。

最近ブログのペースが落ちまくっております、山崎ですガ-ンびっくり
いやぁFacebookで小さな事を気軽に書き込んでいると、ブログでガチっと書き込む機会が減ってしまいます。
両立は難しいもんです。

でもこの使いこなしを考える中で、ツイッタ―を自分が使わない理由が解りましたびっくり

つぶやきは「誰にも聞かれないからつぶやける」ので、たくさんの人にチェックされるなら、そのつぶやきはつぶやきではない。
見られるなら、役者のセリフの様にまとめないといけないと、私は勝手に考えていたようですおすまし

ツイッタ―が気軽でも、考えをまとめてるので時間もかかり、ボリュームも膨らんでしまう。
つぶやいていたら仕事にならないくらい時間を食ってしまうので、使いこなせない。そんな感じですニコニコ

仕事で出会った社会の大先輩や、様々な人と話す中で私に向けられる言葉。
相手が何を背景に背負って、未来に何を見据えて、今私にその言葉で語ったのか。
それを考え、自分なりに消化して、理解するにも時間がかかるので、シンポジウムや講演会などを聞いてすぐにつぶやく人のスピードにはついていけません。

そんな私には、手ごろな事をFacebookやmixiで言葉にして、時々ブログで思いをまとめて語る方が向いているようですねおすまし

もう少しブログを日常的に使おう!!今年の小さな目標にしておこうニコニコ  

Posted by アセンブリー at 17:32Comments(0)TrackBack(0)長い長いつぶやき

2012年01月17日

1.17。冬晴れの青空に祈る。

小学校6年生だった1995年1月17日朝、東京世田谷の家が大きく揺れた。
気づいたが、それ以上強くもならなかったから、そのまま寝て、朝7時に起床。

テレビでは、よくわからないモヤのかかったヘリからの映像だけが映ってた。
「あの揺れは神戸からだったんだ」
その程度の認識で学校に向い、昼に先生がつけたテレビの映像で、とんでもない
事が起きたと思った。
家に帰ってからも、流れるテレビは激しく燃え盛る町並みばかり。
その後の報道も、崩れ落ちたまちと被災者の疲れ果てた顔ばかりだった。

そんな衝撃から数カ月が経ち、4月を迎え、6年生になった時、私の小学校に、
神戸のまちからS君がやってきた。
いたって明るく、友達なんかとサッカーをやったりしていた覚えがあるS君とは、
1回あいさつをした程度しか覚えがない。たった2クラス、80名もいない学校だったのに。
S君には聞いちゃいけないと思って、震災の事は聞けなかった。
そうすると何を話してよいかわからなかったんだろう。でもずっと覚えてた。

たった1年の付き合いだったS君は、卒業アルバムには載っている。だけど、ホントは
神戸の小学校を卒業したかったはずだ。
でも、そんな彼と私は出会えた。17年前は話す事が出来なかったけども、いつか、
どこかで、仕事やなんかで会えたなら、話をしてみたい。ずっとそう思っている。


昨年の東日本大震災では、多くの子どもが、S君の様に故郷の暮らしを失い、放射能に
追い出された。
故郷に暮らしていても、色々な苦しみや寂しさを抱えていることだろう。
私には理解することのできない悲しみを抱えて、これからも暮らしていかなければならない。

それでも、生きて欲しい。一緒に、この時代をともに生きたい。
私には私の感じた1.17がある。3.11がある。
理解なんてできなくても、ずっと忘れないから。ずっと忘れずに生きていくから。


昨年、「しあわせ運べるように」という、神戸で被災した小学校の音楽教員、
臼井先生の唄と出会った。
歌詞には、神戸への思い、生きることへの素直な思いがつづられていた。
この唄を口ずさみながら、17年目の1.17を、私は噛みしめる。

一.
 地震にも 負けない 強い心をもって 亡くなった方々のぶんも 毎日を大切に生きてゆこう
 傷ついた神戸を もとの姿にもどそう  支えあう心と明日への希望を胸に

 響きわたれ ぼくたちの歌 生まれ変わる神戸のまちに 届けたい わたしたちの歌
 しあわせ運べるように

二.
 地震にも 負けない 強い絆をつくり 亡くなった方々のぶんも 毎日を大切に生きてゆこう
 傷ついた神戸を もとの姿にもどそう やさしい春の光のような未来を夢み

 響きわたれ ぼくたちの歌 生まれ変わる神戸のまちに 届けたい わたしたちの歌
 しあわせ運べるように

 響きわたれ ぼくたちの歌 生まれ変わる神戸のまちに 届けたい わたしたちの歌
 しあわせ運べるように
  

Posted by アセンブリー at 16:22Comments(0)TrackBack(0)長い長いつぶやき

2012年01月04日

2012年を見つめ、2012年を生きる

2012年が明けました。
皆さま良い正月を迎えられましたでしょうか?
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

2012年。今年は、2012年という時代の背負った課題と向き合い、今まで蓄積してきたことを、
精一杯カタチにする年にします。

【崩壊が始まっている】
今の社会はどんな状況なんだろう。あまり良くない頭で、今までの経験も含めて考えてみました。
現在、日本はかなり深刻な状況にあります。900兆円を超す負債を抱え、国の年間予算の半分
は借金。不景気や高齢化社会を迎え、社会保障への負担も大きくなり、まともな対策が打ち
出せないままギリギリの状況を迎えています。
都市では人口増加が進む反面、地方では人口が減少。今までの当たり前の暮らしが急速に
しぼんでいます。震災や豪雨災害だけが「復興」ではなく、地方はどこも復興しないと
次の時代を迎えられない、そんな危険な状況にあります。

その様な中で、特に「子ども」の問題が深刻なように私は感じています。
私自身もゆとり教育世代ではありますが、今の子どもたちの未発達、未成長ぶりには驚か
されます。先日、知り合いの大学関係者と話をしているときに、「大学が学童クラブ化している」
という言葉が飛び出てきました。
知識だけが詰め込まれ、考える思考が持てず、自分が何者で、今、誰と何を共有している
場面なのかさえ考えられない。考えられないから、改善も何もできないのです。
学校の学びだけでは人は成長しません。成長をするための要素である、地域の大人や
社会への参加の場等が失われたことで、子どもたちは社会を知らずに大人になってきています。
これが一部の子どもたちであればまだ良いですが、おそらくこの様な未成長な子どもが
マジョリティーとなりかけており、さらに、そこに家庭の不安定化や貧困などが追い打ちをかけ、
未成長が当たり前の様な状況が目の前に迫ってきています。
若者の崩壊は社会の崩壊を意味すると私は捉えています。

【毎日を足し算できる希望を】
年初めからネガティブな話になってしまいましたが、私は絶望はしていません。
若者はまだまだ伸びるし、子どもは成長をサポートすれば数年後には成果に結びつきます。

そのために必要なのは、将来への希望だと私は思います。
その希望を手に入れるのは、足し算の考え方で育てるようになる事です。
ダメな所を見つけて減点するのではなく、マイナスは常にゼロとする。そうすると、マイナス部分を直す、できなかった計算ができるようになることは、プラスになります。そのように考え方自体を足し算にすれば、失敗なんか怖くなくなります。
挑戦して失敗して学ぶ事、成功するために考えつくすことは、人を大きく成長させます。
そこに、歳に応じて社会を見せていく。社会と出会い、関わり、挑戦し、答えが出なくても社会を問う。それを繰り返す力の栄養が、足し算で生きる力です。
繰り返す力は、挑戦する希望となります。

西洋史学者で静岡文化芸術大学の学長だった木村尚三郎さんは、90年代に書かれたコラムの中で、日本の少子化の原因は「社会に希望がないからだ」と説きました。
子どもを産まない時代を調べると、その時代には社会が停滞していることがわかる。希望がなければ子どもは生まれない。
逆に子どもが生まれ続けるアフリカは、単に識字率が低いからではない。アフリカや開発途上国には、これから社会が発展するという希望がある。だから子どもが生まれるのだ。日本でベビーブームが起きたのは、識字率ではなく将来への希望が広がったからだ。といった解説でしたが、今の社会を見回すと、とても実感することができます。希望はとても大切であり、家庭や集落、地域、市町村など、自分たち自身が創りだしていかなければいけません。
若者、子どもの中に希望を育てていけば、基地問題も原発問題も、必ず解決できます。
昭和の豊かさというレンズ越しにしか見えない大人たちには見えないことが、若者たちにはきっと見える。
昭和の仕組みという既存の仕組みという手あかにまみれた大人たちには手にすることができない、新しい可能性を、若者たちはきっと掴み取る事ができる。
そうすれば、今の社会を崩壊から救うことができる。私はそう信じています。

【ふりかえれば、未来】
若者をしっかり、足し算の感覚で育て、社会と出会う機会を創りこむ。私にはそこで役立つ知恵を20代のうちに身につけました。
社会の皆さんからたくさんの学びをいただきました。まだまだ未熟ですが、それを活かして取り組んでいきます。
環境問題は「将来も生きる」を柱にして、生活に関わる様々な問題を捉える考え方です。私はそれを今後とも大切にして、
課題解決のカタチを創りこんでいきます。
そのためにも、過去を大切にして、過去を学び、ここ、2012年から、未来を考えていく。
昭和も含め、過去の全てを否定するのではなく、2012年という立ち位置から、しっかり歴史を見つめ、
その時目指したもの、そこで生まれたモノを見定め、未来のために考えを尽くすことが大切です。

「ふりかえれば、未来」この言葉を大切にして、私はここから、未来へ向けて生きていきます。

2012年も、どうぞよろしくお願いいたします。  

Posted by アセンブリー at 18:50Comments(0)TrackBack(0)長い長いつぶやき

2011年11月22日

91年。

明日は、おばあちゃんが迎えるはずだった91回目の誕生日!
先月、長い人生を終えたおばあちゃんのことを、静かに考える。

1920年。 国際連盟が設立され、早稲田と慶応が初の私立大学として認可され、
伝書鳩の飼育が盛ん。大正9年はそんな年だったようだ。

そんな大正時代に東京は亀戸に生まれたおばあちゃんは、昭和の時代を生きてきた。
商人の娘として育ち、商いを支え、家庭の事情で恋をあきらめ、見合いでおじいちゃんと
結婚した。
戦争の中で、1歳にならない長男を亡くし、それでも生活を支え、戦後のジリ貧の中でも
暮らしを守り、子どもを産み、家族のために生きてきた。
詳しくは知らない。母のアルバムにある写真と母の話でしかわからない、おばあちゃんの人生。
昭和の時代は激動の時代。暮らし方も昔が解らないほどに変わった。
そんな昭和の時代を生き抜いたおばあちゃんの人生。すごい人生だったねおばあちゃん。

この10年は、少しずつ老いて認知症も進み、私の事はヘルパーさんだと勘違いする様になって
いたけど、それでも正月に集まれば「ありがたいねぇみんなが集まってくれてびっくりもういつお迎え来ても満足だぁ♪赤」と感謝の言葉を何度も繰り返していた。

5年ほど前にはじいちゃんの墓参りに電車を乗り継いで霊園に行った時、
駅のホームで電車を待ちながら、母から「水分補給しなきゃびっくりはい飲んでびっくり!!
と差し出されたペットボトルを持って、「こんな人様の前で立って飲むなんて失礼なガ-ン」と戸惑い、
ポカリスエットの味に驚き、「この水味がついてるびっくりスッパイ汗」と騒いでいた。
あの時初めて、おばあちゃんから時代を感じた。

孫が結婚してひ孫が産まれ、顔を見せに来ると喜んで、疲れて体調を崩すまで抱き続けていた。
それほど赤ん坊が大好きで、細い手でなでまわし、頬ずりをするおばあちゃんは、満面の笑みを浮かべていた。
私の二人の娘も、抱きしめてもらうことができた。
ひ孫を抱くおばあちゃんを見て、私もそうやって抱きかかえられて育ったんだなぁとしみじみ思った。

亡くなり、棺桶の中に収まっているおばあちゃんと久しぶりの対面をしたとき。
おばあちゃんの「ありがとうね~」という口癖が心に響いた。
おばあちゃんを見送ることで、時代の終わりを感じた。

次の時代は私達が担い、次の世代へ継ぐんだ。そう思った。

おばあちゃんの育った町、おばあちゃんの生きた時代。それは、今の私へとつながる命の道だ。
それを私はもっと知りたい。もっと見つけたい。これからの時代を生きるために。
東京に帰ったら、1度くらいしか降りた事のない亀戸の町を歩きたい。

会えないことがまだ寂しいけど、心の中にはしっかり生きている。

あの世では先立った長男と仲良く、子育てを楽しんでいて欲しいと願う。


今まで本当に、ありがとう。
お誕生日おめでとう。
孫 あらた


(2009年正月 長女とおばあちゃん)  

Posted by アセンブリー at 18:50Comments(0)TrackBack(0)長い長いつぶやき

2011年11月04日

今年は・・・。

なんてまだ2か月あるのに早すぎるんですが…。

本当に2011年は大災害の年ですね。ガ-ン

・ニュージーランドの地震
・宮崎県新萌岳の噴火
・東日本大震災
・東アフリカの大干ばつ
・台風12号と15号
・タイの大洪水
・トルコの地震

細かいものも含めるともっともっとあるとは思いますが、こんなに人が亡くなったり、
生活の場が失われたり、生産活動が行えなくなったりという事態が起きるとは。

これ以上何かが起きてしまったら、さらに多くの国で貧困や飢餓によって命が
失われることになってしまう。 日本でも表面化するでしょう。

これ以上、何も起こりませんように。
そう願いながら、今暮らしが追い詰められている国の人々の事を考える。

そんなこの頃です。  

Posted by アセンブリー at 11:55Comments(0)TrackBack(0)長い長いつぶやき

2011年10月20日

戦争を細分化すると、一人の人生だった

久しぶりの書籍紹介になります。この夏に読んだのですが、このごろ仕事が忙しかったので、少し寝かせておりましたびっくり

『海よ眠れ ミッドウェー海戦の生と死』 一~三
澤地久枝  文春文庫

アジア太平洋戦争のターニングポイントと言われるミッドウェー海戦。
日本側が空母4隻を失い大敗北を喫した戦闘として有名なこの海戦では、日米あわせて3,427名の若い命が失われた。
では、その亡くなった一人ひとりには、どんな人生があったのか。
今から30年ほど前に、遺族にアンケートやインタビューを行い、死んだ男達の人柄や人生、そして遺族の人生を聞き取り、まとめられたのがこの全3巻の本。
直接、日米の遺族に会い、連絡を取り合い、一兵士の存在から戦争を捉えていて、戦争当事者が書いたものとも違う、深みと悲しみが感じられます。

細かい一人ひとりのエピソードについては私は触れませんが、戦争によって生まれた悲しみの深さを、私は思い知らされた。

貧しい農家の出でやむを得ず志願した、召集され、再度召集されて死んでいった男たちもその家族も、家庭の小さな幸せを守ろうと努力していた。みんながみんな「立派に死んで来い!」なんて言ってなかった。
私たちが伝えられてきた戦時中のイメージにはない、生身の人間、家族の絆が、日本もアメリカも関係なく聞き取られ、書きつづられている。
読んでいてとても苦しく、時代だったなんて言葉で簡単に流せない、とても生々しい人の人生を感じさせられた。

また、戦争で死んだ兵士の銃後で、肉親を殺された家族の抱えた膨大な悲しみ、そこから戦後へと続く苦しみがあった。
戦死者を訪ね記すこの本の中には、子どもを失って廃人のようになり、病気になって死んでいった親たちが幾人も出てくる。
戦争犠牲者としては集計されていないだろうが、家族を失って生きる気力がなくなり死んでいった人たちも、紛れもなく戦争犠牲者だ。

この様な犠牲を払ってまで国家間の課題解決の手段として、戦争を選ぶ必要はない。
選ぶならば、それだけの責任を持つべきだ。

私は戦争を手段として選べない。この様な悲しみを強いる行為を、手段として選ぶ勇気はない。
戦争という制度の裏で、小さな一つ一つの家庭の幸せが犠牲になっていく。そのことを受入れること
など私には出来ない。

この本は、戦争によって失われた人の命の重さを、家庭の視点から捉えている。
家族のためにも、戦争を否定しなければいけない。

この本と出会ってよかった。
  

Posted by アセンブリー at 18:30Comments(0)TrackBack(0)書籍紹介

2011年10月07日

子どもの学びに必要なものとは

ご無沙汰しておりますびっくり
この1カ月は本当に忙しかったびっくり

那覇市立識名小学校のジョブシャドウイング(仕事観察)授業の実施があり、10月4日には120名が
受入先の企業の職員さんに張り付き、2時間の仕事観察をさせてもらいました♪赤
120名の受入先との調整、事前学習の実施など学校との調整は、かなりの力が必要で、毎日ハラハラドキドキして働いていましたびっくり
当日は最悪の土砂降りがーん
バスルートは遅れるし大変でしたが、ケガもなく無事に終了おすまし

9月初旬から学校には入り浸っていたので、6年生の子どもたちとも仲良くなりましたが、企業さんから帰ってきた子どもたちはいろんなことを話してくれました♪赤

この、仕事する大人と出会い、働く事を考える社会体験学習を通して、子どもたちはそれぞれの成長をしたように思います。
大人との出会い、観察して気づく体験、知りたいことを質問して答えてもらう体験。
この場で、子どもたちが人と出会う事に慣れ、楽しみを感じるようになったと私は感じましたびっくり

そんな子どもたちを見ていたら、人の成長には、多くの人との関係性が大切なんだなぁと実感しました。

色んな価値観を持った大人と出会い、話をすることで、考え方の多様性に気づき、自分の考えを肯定できるようになる。
出会いを繰り返すことで、偶然の出会いに負担を感じなくなる。
仕事ではもちろん必要な力ですが、それを出会いの中で身に着けられる。子どもには高度な社会性があると解りましたおすまし

今月は数回、学校へ足を運んで、事後学習にも参加させてもらいます♪赤
子どもたちからどんなことを教えてもらえるか、大変楽しみですニコニコ  

Posted by アセンブリー at 17:29Comments(0)TrackBack(0)長い長いつぶやき

2011年09月12日

この社会に生きる。

昨日は9月11日。
アメリカ同時多発テロから10年。 そして東日本大震災から半年。

この10年は、自分の生きる意味を考える10年だった。
自分は何がしたいのか。何が大切なのか。どんな人生の終わりを迎えたいのか。
同時多発テロは、世界の歪みが暴発したように思えた。
そして社会は戦争を支持し、米軍基地のある沖縄は危険と言われ、日本から再び
捨てられた。
その様な中で、成人となった友人達からの電話で問われた
「ねえ、なんで生きているの?」の問い。
まっすぐ生きてきた友人が初めてつまづき、そこから生まれた不安に苦しむ姿。
夢を叶えたのに耐えられない自分を否定する友人の、生きる事まで否定する姿。

それに対し、ただただ話を聞いて、生きていてほしいというメッセージしか伝えられ
なかった私自身の力の無さ。

その心の迷いを、それ以上の悲しみで押しつぶし、「生きるだけで価値がある。」と
教えてくれたのは、御巣鷹山や沖縄の遺骨収集の現場だった。

3月11日。15時23分に届いた「すげーデカい地震だったびっくりすぐ外に避難したから大丈夫。」
というメールの後つながらなくなった、岩手県宮古に住む高校友人。無事を信じた
かったからか、あんなに衝撃的な映像を見ながらも、私は地震の被害を過小評価
し続けていた。

この事態に何ができるのか。ずっと悩んでいたし、今でも何ができているとも思えず、
力の無さは感じる。
でも、私はずっと忘れない。あの日以来、夜ビールを飲むときには目を閉じて祈る様に
なった。いつまでもいつまでも。飲めなくなった人の分まで、味わい、飲める幸せを
大切にしよう。いつもそう思いながら。


1週間前、高校卒業10周年を祝い、初めて同窓会をやった。
「行きたかったけど、二人目が臨月になるから行けないよ~びっくり」とメッセージをくれた、
宮古市の友人には、もうすぐ次男が誕生する。
悩み苦しんだ友人は、夢とは違う仕事をしていたけど、変わらない素敵な笑顔をしていた。
みんな、それぞれの20代を過ごし、この10年を生きてきた。
みんなの人生にお疲れ様を言いたかった。

これからの10年、これからの21世紀も、大変な災害や争いが起きるだろう。
でも、私は生きていく。出会った多くの仲間と一緒に生きていけるよう努力する。


そう心に誓い、昨日は東北へ向かってそっと手を合わせた。  

Posted by アセンブリー at 18:30Comments(0)TrackBack(0)長い長いつぶやき

2011年08月26日

環境教育を考える!in京都

8月2日・3日と、勉強のため京都へ行ってきましたびっくり
3日はセミがにぎやかな朝の川沿いを散歩し、夏の京都を満喫♪赤
この日の京都はそこまで暑くなく、日差しも湿度も沖縄より優しいので、暑くても気持ちよく歩くことができましたニコニコ
川沿いはいいですねびっくり





この日の目的はここ、「京(みやこ)エコロジーセンター」!地球温暖化などの環境情報をまとめたセンターです。
沖縄ではこの様なまとまった環境情報センターがないため、ネットで調べて見つけたこちらをチェックしてみたいと思い、行ってきましたびっくり
雨水利用や地熱冷却、ビオトープなど、施設自体の自然共生型の仕組みをしっかり見えるようにしてあります。特に、しっくいや土壁など、京都の家屋の特徴などをしっかりと捉え、地域の良さとして見せようという意識があります。
展示内容にも、京都市の昔の暮らしを見せる努力が感じられましたおすまし
多少気になったのは、「ゴミを捨てるとこうなるんだ!」という実例を、あまりにもストレートに出しすぎている点。
それだけ危機感があっての事だと思いますが、環境学習で見学する子どもには、罪悪感だけが残る様な気もします。
誰をターゲットにして見せるのかは考え続けなければいけませんねびっくり

1階は展示と学習室、2階はワークショップもできるスペース、3階は実習室や図書室といった内容ですが、驚いたのは図書室♪赤
環境問題に特化して、書籍や雑誌、DVDやビデオなどが揃っています。大量に!というほどではありませんが、公害問題など年代も広く、こういった場所は欲しいなぁと思いましたびっくり

屋上にはビオトープと子どもたちと育てる菜園があり、京都の空にゴーヤが揺れていましたニコニコ

ここでは、環境活動を行うボランティアなどが活動しており、ワークショップなどの場づくりや進め方について学び、実践してスキルアップして、社会に進出していくサイクルがあります。ここが活動するだけでなく、環境意識が高く、それを伝えることのできる人材を育てていることも重要なポイントでしたびっくり
京都で活動する環境系の団体の情報も多く、とても見ていて参考になりましたおすまし

沖縄にも、沖縄の環境問題の資料や情報が集まった場所があったらいいなと感じました。
地域の環境問題を過去にしないためにも、その様な残し方やまとめ方が必要で、そこをどう伝えるかを考えていかなければと思います。  

Posted by アセンブリー at 14:59Comments(0)TrackBack(0)環境問題関係

2011年08月24日

さよなら夏の日~♪

今日は少しひんやりした朝でしたねびっくり
セミの声も静かになり、気づけばもう夏も終わりなんだなぁと、秋の到来を感じましたおすまし

今年は日焼けだけよくした夏でしたニコニコ
平日はバイクで外回りで焼けて、休日は子どもと海で砂遊びして焼けて日の出

最近気づいたのは子どもの大人を見る観察力びっくり
飲食店や洋服屋でのバイトの経験から、レジの会計待ちなど、立って待つときは前に手を組んでいる私。
コンビニで子どもに「しずかに待ってなさいびっくり」と言ったら、
長女も次女も、前に手を組んでじっとおやつにシールを貼ってもらうのを待ってましたニコニコ

という事は、海で知識もないのに生き物を探したり、きれいな貝殻を探す私を見ていたら、
少しは好奇心も高まるのかもしれませんねびっくり
ホントはただ貝拾っているだけなんですけどニコニコ

今週末も瀬長島で水遊びしよう♪赤
山下達郎でも口ずさみながらおすまし
  

Posted by アセンブリー at 18:33Comments(0)TrackBack(0)長い長いつぶやき

2011年08月18日

日本人の戦争観

先日大学の後輩から借りて読んだこの本。

日本人の戦争観~戦後史のなかの変容
著者 吉田裕
発行 岩波現代文庫

アジア太平洋戦争に対する侵略性や天皇の戦争責任について、資料やその当時の社会世論の調査などを照らし合わせながら、しっかり分析された内容で、とても良い内容でした。

アジア太平洋戦争は侵略戦争ではなかったと発言する政治家がいる一方で、戦争に対する加害性を匂わせ、謝罪したように思わせる政府の姿勢。アジア諸国との経済関係を考えると罪を認めたような形で水に流してもらった方が良いが、国内ではまだまだ根強く、侵略性の否定や虐殺に対して否定する議論が消えない。
このダブルスタンダードな流れがどの様にして形成されたのかを、年数単位で区切って分析し、現在までの流れをまとめているところが解りやすいです。

印象深かったのは、東京裁判がアメリカやソ連・ヨーロッパの論理で行われ、戦勝国側が被害を受けたアジアを無視する格好となっていた事。
戦勝国自身が、被害国となったアジア諸国を差別的な視点で捉えていたこと、アメリカ国内の関心が薄くなったことなどが関連していることなども興味深かった。

天皇の戦争責任とアジア太平洋戦争の正当性主張が、戦後の国体護持を優先することで、相反することになっていることも面白い。
アジア太平洋戦争が聖戦だったという理由に、天皇が日本国の将来を考え決断したことだからと答えると、天皇には重大なる戦争責任が生まれる。
天皇に戦争責任は無いという理由に、主に陸軍の独断行動などで戦線を拡大したからと答えると、この戦争は軍部の暴走した侵略戦争だったということになる。


軍務課長などの記録には、天皇が戦術研究などもして、軍の行動に対してかなり指摘をしており、「説明にはかなり苦労する」とある。
戦争も自国の国防のみを考えた侵略戦争であることは明らかだが、その様な状況を「違う!」と言い張る主張が、互いに相反しているとは面白い。

現代までの流れを、丁寧にまとめた1冊。
少し難しくて、1度しか読んでいないと、こんな簡単な説明しかできませんが、
何回か読み返すと、もっとわかることがでてきそうな1冊です。

  

Posted by アセンブリー at 10:00Comments(0)TrackBack(0)書籍紹介

2011年08月15日

終戦記念日をいつまでも

66年目の終戦記念日の一日が暮れようとしている。

今日は仕事が溜まりまくり、走り続けていたため、終戦について考える時間もなかった。
仕事で伺った場所でも終戦記念日の雰囲気はなく、ただ、日常がそこにあった。

66年。
忘れるには充分すぎる時間の中で、終戦記念日は戦没者遺族の日になり始めている。
記憶は風化するが、しかし歴史は風化しない。いつまでも恨みと悲しみと苦しみを含んだ
歴史として存在している。

サッカーにおいて日韓戦には「伝統の一戦、永遠のライバル」という言葉が並ぶが、
そこには主権を奪った元侵略国であり戦争犯罪加害国と被害国の関係がある。
そのことを今の日本人はどれだけ意識するだろうか。

私は日の丸の掲揚も君が代も歌わない。
国旗国歌を歌わないことが、日本人としての誇りの無さではない。
明確な謝罪もしていない国の態度を恥じ、謝罪と追悼の気持ちを込めて、私は国旗や
国歌を持つことを否定する。

国=天皇制を守るための戦争に駆り出され、犬死していった男たち。家族を国家に奪われ、
貧しくても幸せな日常を奪われた銃後の女性たち。

私は時々遺骨収集をしながら、戦争のあった土地としての沖縄を歩きながら、故郷に帰れ
なかった人たちの事を忘れず、いつまでも考えていく。


戦争という時代の波に飲まれて亡くなった全ての方へ気持ちを込めて。  

Posted by アセンブリー at 19:37Comments(0)TrackBack(0)長い長いつぶやき